新スタジアム建設のスキームづくりから募金団体の発足まで一気に話が進んだこともあって、スムーズに実現に向かうかと思われた新スタジアム構想だったが、建設候補地の選定には思いの外、時間を要した。事実、当初は万博記念競技場がある同じ万博公園内にターゲットを絞って吹田市との協議を開始したが、日本初のスキームによる新スタジアム建設ということもあってだろう。実際に建設資金は集まるのかといった不確定要素が多く、協議が思うように進展しない時間が続く。その過程では、高槻市をはじめ、いくつかの候補地を模索したものの、最終的には11年12月に万博記念公園内の南第一駐車場横のスポーツ広場が、建設予定地に認定された。
「候補地は高槻市以外にもいくつかあって、それぞれに調査を行っていました。ただ、敷地面積の問題や、住民の皆さんの生活を守れるのかといった環境保全の観点から、理想的な場所は思うように見つかりませんでした。また、我々としましては、ファン・サポーターの皆さんが慣れ親しんだ場所でもある万博公園に建設するのが一番望ましいという思いが根強くあり、継続して吹田市との交渉を続けていた中で、最終的には吹田市から経済効果への期待も踏まえて前向きなお言葉をいただきました(桑原)」
一方、土地の選定と並行して行っていたのが設計施工者の決定だ。10年5月には募金団体がプロポーザル形式(提案競技)でのコンペを実施。3社のエントリーの中から竹中工務店を設計施工者に選定した。
「我々は建設に関しては素人だったため、設計施工者の選定にあたっては、募金団体側に立ったコンサルティングを安井建築設計事務所さんにお願いして、公平かつ、より良い案を選べるように心がけました。実際、当日のコンペには安井建築設計事務所さんをはじめ、川淵さんや募金団体理事、ガンバ側からは桑原と小川ら約10名が出席し、それぞれのご提案に点数をつけ、合計得点が一番多かった社にお願いするという形式をとりました。最終的に最多得点を集めた竹中工務店さんにお願いすることになりましたが、いずれの社もアイデアと思いのこめられたプレゼンテーションをしていただいてすごく嬉しかったのを覚えています。隣の席に座っていた川淵さんが『皆さんが、ここまでサッカースタジアムについての知識を含め、熟慮してくださったのが嬉しい』と涙を流されていた姿も印象的でした(金森)」
新スタジアム構想が持ち上がった時から、両手を挙げて賛同し、様々な局面で金森を後押しした川淵もまた、当時のコンペのことは鮮明に覚えているという。いや、厳密には「涙を流したかは覚えていない」そうだが、感激したのは間違いないと言葉を続けた。
「コンペの少し前にプロ野球の広島カープのMazda Zoom-Zoom スタジアム広島が完成したのですが(注:2009年3月に完成、4月から利用開始)、野球界でも珍しいスタジアム設計が人気となり、たくさんの観客を集めていました。それもあって、僕の中に『サッカーも負けてはいられない』という思いがあり、どんなサッカースタジアムの案が持ち寄られるのかワクワクしながらコンペ会場に足を運んだのを覚えています。そうしたら、本当にどの社も素晴らしく、それぞれの想いが込められた、サッカーの未来を予感させるような提案をしてくださった。だからと言って、涙を流したのかは覚えていないけれど(笑)、『サッカースタジアムも、これだけいいプレゼンテーションをしていただける時代が来たんだ』という思いになったのはすごく印象に残っています。それに僕は大阪出身ですからね。昔から阪神タイガースを中心に野球人気が高い地域だということを理解していただけに『大阪にこんなにも素晴らしいサッカースタジアムができるんだ』と感慨深い気持ちになりました(川淵)」
実はこの時点では、建設場所が決まっていなかったこともあって、各候補地の面積等を参考に『32,000人収容、40,000人規模に増設可能なスタジアム』としてコンペが行われたが、のちに吹田市に建設場所が決定するにあたり『40,000人収容』に変更されたのは、川淵の提案によるものだったという。国内外問わず、さまざまなスタジアムを訪れる中で川淵には以前から「スタジアムのキャパシティ(収容人数)によってクラブの大きさが決まる」という持論があった。
「クラブというのはスタジアム以上の大きさにはなり得ません。ホームスタジアムが15,000人収容のクラブが、日本を代表するビッグクラブになるかといったら、決してそうはならない。15,000人収容のスタジアムのクラブは、15,000人規模のクラブだということ。Jリーグでいえば浦和レッズがその象徴ですね。ガンバもこれだけたくさんのファンを抱えるクラブなんだから、その可能性を自分たちで制限してしまうようなことがあってはもったいないな、と。それよりも40,000人以上収容のホームスタジアムを持つという未来を模索する方が、必ずクラブは大きくなる。正直、今の日本には、スタジアムの規模を活かしきれていないなと感じるクラブがまだまだあるけれど、そのキャパシティがあれば、いずれそこにクラブの成長が追いついていくんじゃないか、と思います。そういった願いも込めて、せっかく大阪に新スタジアムを作るなら40,000人収容のスタジアムを作ってもらいたい、と。大阪という都市、関西サッカー界を引っ張るガンバであればそれを十分に活用できるだろうという期待もありました。それに、ワールドカップで使用可能なスタジアムの最少収容人数が、開幕戦と準決勝、決勝を除いて40,000人だったことも、頭にありました。関西を代表するスタジアムで日本代表戦が行われる効果はサッカー界にとっても、自治体にとっても、言わずもがなだと思いますね(川淵)」
話を戻そう。11年12月に吹田市が建設予定地に決定したことを受け、目標金額を『140億円』に設定してスタジアム建設募金活動が開始されたのが、2012年4月だ。だが、皮肉にもスタジアム建設の気運の高まりとは対照的に、チームの成績が振るわないことも影響してか、募金活動が思うように加速していかない時間が続く。企業募金は少しずつ数字を伸ばしていたことや、スポーツ振興くじ助成金にも助けられて12年末の段階で100億円強の金額が集まる見通しは立っていたものの、特に『個人寄付』の数字は伸び悩んだ。
しかも、そうした状況に追い打ちをかけるようにこの年、ガンバは最終節のジュビロ磐田に敗れて、クラブ史上初のJ2降格を余儀なくされてしまう。これを受け、金森がガンバの代表取締役社長職を辞任。12年1月にスタジアム建設本部長として着任し、陣頭指揮を取っていた副社長の野呂輝久(24年逝去)が13年1月同職に就任した。
「12年の秋頃に一旦、一般の方からの寄付金の動向を探ってみたらコアなサポーターの方ほど寄付をしていないということが明らかになったんです。Jリーグの市場調査でガンバのサポーターは30代後半のサラリーマンの方が多いということを踏まえて、ボーナス期における募金額の増加を目標にしていたのですが、それも思うような数字には繋がりませんでした。チームの成績が芳しくなかったのもあって『チームの成績が悪いのに、新スタジアムどころじゃない』という空気は否めず、ガンバとしてもそのお気持ちを察して心苦しくも感じていました。ただ、そうした状況に置かれても、すでにたくさんの方にご賛同いただいているのも事実でしたから。我々としても募金活動が始まってまだ1年弱の段階で諦めるわけにはいかない、と。仮に目標額に達しなければ当初の予定から、屋根をなくすことや、収容人数を減らすことも考えなくちゃいけなくなるかもしれないけれど、兎にも角にもまずはみんなで新スタジアム建設のために力を振り絞って頑張りましょう、ということに気持ちをそろえていました(野呂)」。
(文中敬称略)
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高村美砂●取材・文 text by Takamura Misa