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[ パナスタ物語 ]

第二章

2016年に始まった、新スタジアムでの新たな歴史。
日本一の『ホームスタジアム』を目指した10年。

パナスタ物語 第二章
 2008年に本格的な新スタジアム構想が立ち上がって約7年半。さまざまな人たちの想いを乗せた新スタジアムは15年9月30日、完成に漕ぎ着けた。同10月10日には竣工式および竣工イベントを開催。16年にはガンバ大阪のホームスタジアムとしての運用が始まる。その初陣、32,463人が来場した、鹿島アントラーズとの1stステージ開幕戦は黒星スタートになったものの、ホーム2試合目となった第3節・大宮アルディージャ戦では記念すべき初白星を掴み、新スタジアムに歓喜が響き渡る。公式戦におけるガンバの1stゴールを決めた今野泰幸(現南葛SC)は「本当にいい雰囲気の、最高のスタジアム。応援してくださる皆さんにできるだけ早く勝利を届けたいと思っていたのでホッとしています」と安堵の表情を見せ、キャプテン・遠藤保仁(現ガンバコーチ)は「まずは1勝できてよかった。ホームでは必ず勝点3を獲れるようにしていきたい」と語った。
 そうして始まった新スタジアムの歴史も来年2月で丸10年。その間、パナスタは地域のシンボルとしてどんな成長を遂げ、ガンバは約倍のキャパシティに膨らんだホームスタジアムをどのように運用してきたのか。第2章では『日本一のスタジアム』を目指した10年間の戦いの軌跡を振り返る。

(第二章/全3回連載)

第1回 ガンバのホームスタジアムとして運用をスタート。

 新スタジアム完成を受け、15年8月には『市立吹田サッカースタジアム』に名称が決まった中で、ガンバのホームスタジアムとしての歴史が始まったのが16年だ。

 同年5月、野呂輝久からバトンを受け継ぎ、代表取締役社長に就任した山内隆司は、その運用にあたり「リーグ戦での年間平均入場者数を28,000人まで引き上げたい」と指針を掲げた。

 これは、チームの結果に左右されない安定したクラブ経営を目指すにあたって、15年時点で約51億だった売上をゆくゆくは100億まで膨らませたいと描いていたからだ。そのためには、売上に含まれるスポンサー収入やJリーグ配分金、物販収入といったさまざまな収入項目のうち『入場者収入』を安定的に見込めるクラブにならなくてはいけないと考えた。

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新スタジアムの運用を開始した16年にガンバ大阪の代表取締役社長に就任した山内隆司氏

「パナソニックの経営理念には『お客さま第一の経営』もさることながら、『自主責任経営』ということも謳われています。その考えに基づいても、お客さまの満足度を追求する経営を心掛ける一方で、ガンバ大阪は1企業としてしっかりと利益を生み出していく仕組みを作り出さなければいけない。そのためには年間平均入場者数28,000人が最低ラインだと考えました。万博記念競技場でのラストシーズン(15年)の同数字が15,999人だったことを思えば、決して簡単ではないですが、そこを意識しなければクラブとしての成長も求められないと思っています(山内)」

 いうまでもなく、スタジアムのキャパシティが大きくなれば、それに伴う諸経費も一気に増える。また新スタジアムの運用にあたって従業員を増員したことを踏まえても、確実に収益を伸ばさなければ、赤字を出すことにもなりかねない。それを意識した『年間平均入場者数28,000人』でもあった。

「以前勤めていたパナソニックでは40年ほど営業に携わり、最後に所属したデバイスカンパニーでは営業本部長として主にデバイスという『ハード』を販売していました。それに対して、エンターメントの世界における営業は、ガンバ大阪というバリューを評価いただくという『ソフト』面に強く訴えかけながら、座席という『ハード』を販売していかなければいけません。それは、ある意味、手触りのある『もの』を売るよりも非常に難しいことだと思っていました。しかも、ガンバの場合、歩んできた歴史もあって単に勝てばいい訳ではなく、『勝ち方』まで追求していかないとそのバリューが上がっていかないということを就任初年度に実感し、これは大変だぞ、と。ちょっとやそっとの努力ではガンバのバリューを上げていくことはできないぞ、とリマインドしたのを覚えています(山内)」

 そうした中で、山内がより意識したのが新スタジアムを活用した『収入の多角化』だ。新スタジアム完成を受け、株式会社ガンバ大阪は吹田市とスタジアムの指定管理者としての契約を締結。2063年3月までの約48年間にわたり、スタジアム運営を任されることになったが、その立場をいかに活用できるかが『収入』を大きく左右すると考えていた。

「ガンバのサッカーの質を追求しつつ『タイトル』に繋げる、お客様が喜ぶサッカーをして勝つことを目指すのは我々のベースですが、年間で考えると公式戦におけるホームゲームは約20〜30試合です。であればこそ、指定管理者としては、試合日以外をいかに稼働させて売上に繋げていくかが大命題だと思っていました。もちろん、我々のベースは『サッカー』にあって、収入の9割がサッカーにまつわるチケット代であり、飲食代や物販、スポンサーフィーであるのは事実です。サッカーを通じてエンターテイメントを提供し、サッカー文化に貢献するという考えも常に持ち合わせています。ですがその大義を実現し続けるには、サッカー以外の収入もしっかり意識していかないと、安定したクラブ経営にはつながっていかない。裏を返せば、安定したクラブ経営がなければ『社会貢献』も机上の空論になってしまう。特に、エンターテイメント業界は、前年度の売上が翌年にも保証されるとは限らない世界ですから。結果的に1年目は売上を伸ばすことができたとはいえ翌年は売上が落ちてしまったように『スタジアムができた=チケットが売れる』ということでも決してない。お客様満足度が上がらなければ、当然、スタジアムには足を運んでもらえないでしょうし、仮にチームの成績が振るわなければ、その煽りを受けることも考えられます。であればこそ、従業員にも自分自身にも『今がベストではない』ということをリマインドしながら、できるだけ経費を切り詰めるとか、企画を見直して削れる予算はできる限り削り取った上でお客様満足度を上げていけるようにしようと話していました。もっとも、16年は私を含めた全員が初めて直面することばかりで、安心、安全にスタジアムを運営して、ホームゲームを開催することに必死だったというのも現実で、いろんなことを落ち着いて考えられるようになったのは17年以降でした(山内)」

 実際、新スタジアム初年度について「従業員の誰もが、目の前の試合をやっつけていくのに必死でした」と振り返るのは、当時は広報課長を務め、現在は顧客創造部で試合運営に関わる奥永憲治だ。

「16年は、試合をするたびに新たなイレギュラーに直面するという連続で、それを1つずつ解決しながら進んでいくのが精一杯でした。集客のことにまでなかなか考えが及ばなかったというのも正直なところです。結果的に、初年度は新スタジアムの『目新しさ』を追い風にリーグ戦での年間平均入場者数が25,342人を数えたものの、17年は24,277人に、18年は23,485人に減ってしまったのも、イベントを含め、来場された方に楽しんでもらうための工夫が足りていなかったと受け止めました(奥永)」

 もっとも、17年には今やファン・サポーターの間でも定着した『ガンバエキスポ』をスタートさせるなど、新たなイベントを立ち上げ、入場者数の増加を意識した施策を打ち出してはいた。7,000平方メートルという広大なフィールドを使って行われたJリーグ史上初のプロジェクションマッピングも集客を睨んだ策の1つだ。だが、それらが明確な数字に繋がることはなかった。

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試合日の集客増を目的に、『ガンバエキスポ』など様々なイベントが開催された

 そうした状況下、新スタジアムの『ネーミングライツパートナー』の募集に踏み切ったのが18年だ。

「収入の安定を図るための施策で、吹田市さんとも話し合った上でご了承をいただき、協賛いただける企業を募りました。結果、国内外、いくつかの企業に興味を示していただきましたが、最終的にはパナソニックがネーミングライツパートナーに決まりました。AFCチャンピオンズリーグやクラブワールドカップ、日本代表戦等では以前の『市立吹田サッカースタジアム』いう名称を使用することもありますが、基本的にガンバのホームゲームでは『パナソニックスタジアム吹田』、通称『パナスタ』として運用していくことになりました(山内)」

 また、顧客データを活用して集客に繋げるJリーグの『集客マーケティング』を本格導入したのもこの年だ。『認知→関心→来場→リピート→定着』という一連の顧客体験を向上させることが狙いだった。

「Jリーグに提供いただいていた『顧客データ』は、チケットを購入された方が1人1回、登録される仕組みになっていますが、それをガンバへの関心や、集客に繋げていくための『to Cマーケティング』を開始したのが18年です。メインパートナーであるパナソニックがスポーツ事業の取り組みに共鳴し、データ分析のスペシャリストによるサポートを開始したことにも助けていただきました。どういった年齢層のお客さまにご来場いただいているのか。リピーターになってくださっている方、1回きりの観戦で終わった方はどのくらいの比率なのか、といったデータを参考にイベントを企画したり、告知やダイレクトメールの中身を工夫することでよりダイレクトに、我々の想いが伝わるように心掛けました(奥永)」

 ゴールデンウィークに先駆けて行われた『家族で楽しむガンバファミリーランド!』も、集客マーケティングをもとにスタートしたイベントの1つだ。

「『ガンバファミリーランド!』はゴールデンウィークに合わせて、家族で楽しめるサービスを提供し、休みの過ごし方の1つにガンバの試合も組み入れていただければなという思いで立ち上げた企画です。子供たちが憧れる消防車やパトカー、白バイ、高所作業車、ショベルカーなど、たくさんの『車』を展示して、実際に乗車できる体験型イベントを行ったり、ウサギやひよこといった小動物との触れ合いや人気のアルパカとの撮影を楽しめる『ミニ動物園』を開催したり。今年は『ナンバーワン戦隊ゴジュウジャー』によるキャラクターショーを開催しました。毎年、たくさんのお子さんが楽しみにしてくださっているイベントに成長しつつあります(奥永)」

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消防車やパトカーなど、子供たちが憧れるたくさんの『車』を展示するなどの体験型イベントが実施された

 そうした取り組みの効果は、少しずつ数字にも表れるようになり、19年のリーグ戦における総入場者数は、パナスタ初年度である16年の430,806人を上回る、471,034人に。平均入場者数も16年の25,342人に対し、19年は27,708人と過去最高の数字を記録した。

 一方、パナスタが試合開催日以外に継続的に行ってきた活動も忘れてはならない。08年に新スタジアム建設構想を発表した際に描いた、スタジアムの存在意義を意識して、だ。

「関西のサッカー界のみならず、スポーツ界全体を盛り上げ、更なる発展を目指すためにも、大阪にそのシンボルとなるようなスタジアムを建設したい。新スタジアムが、野球でいうところの『甲子園』のように多くの人々の心を一つにまとめ、心意気を作る大きな役割を果たす存在になっていければと思っています(スタジアム建設募金団体の代表理事・金森喜久男)」

 その中で、括連携協定を結ぶホームタウン各市をはじめ、様々な地域と連動して行ってきたさまざまな取り組みは、パナスタへの愛着を深め、ひいてはガンバへの関心や認知を深めることにも繋がった。

 16年6月を皮切りに日本代表戦をはじめ、FIFAクラブワールドカップジャパン2016、2016年末の天皇杯決勝などの大規模なサッカー主要大会はもちろんのこと、各種サッカー大会などにおいてスタジアムの『貸館』を行ってきたのもその1つだ。もちろん、ガンバの試合日に最善のピッチコンディションを提供するため、ピッチを利用する場合はあくまで芝の管理、運営を邪魔しないことが大前提だったが、VIPエリアをはじめとするスタジアム内の諸室は積極的に貸し出しを行ない、多くの方にパナスタと触れ合う機会を創出した。地域の保育園・幼稚園の子どもたちをはじめ、全国各地の小中高校に修学旅行や遠足の候補地の1つとしてパナスタを組み入れてもらったり、企業や各種団体、パートナー企業向けにスタジアムレンタル(レンタルスペース)を行ったり。最近では、ご家族、グループのスペシャルな記念日におけるレンタル撮影(パナスタフォト)も密かに人気を集めているという。

 中でも、パナスタのある吹田市は16年からパナスタの認知を広めるための活動を積極的に展開してくれている。吹田市教育委員会と連携した『市民ふれあい事業 夢と希望を広げる出会い〜未来への備え〜inスタジアム』もその1つだ。パナスタ建設時は環境アセスメントを担当していた、現吹田市長の後藤圭二によれば「サッカーに肩入れすることなく、あくまでニュートラルな立場で、吹田市にできた大きなスポーツ施設をたくさんの方に喜んでいただける場所にしたい」という思いがあったという。


(文中敬称略)


高村美砂●取材・文 text by Takamura Misa

パナスタ物語 第二章
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